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【アラベスク】  第5章 古都の夢



第3節 仮面の下 [13]




 突然話を振られ、危うく箸を取り落としそうになる。
「あっ あっと…… いえ」
 しどろもどろに言葉を呟く。
「浴衣は持ってなくって」
「それは残念」
 慎二は、小首を傾げて眉を下げた。
「浴衣も似合うだろうに」
 なぬっ!
 細い瞳の、奥の光。見つめられ、美鶴はゴクリと生唾を呑んだ。
 にっ にっ 似合うと思います?
 対応に窮する美鶴を、女性がクスッと笑う。
「よろしかったら、召されてみます?」
「えっ?」
「浴衣ならいくらかありますから」
「えぇっ!」
「ホント?」
 慎二が嬉しそうに口を開き、そのまま美鶴へ笑顔を向ける。
「せっかくだから、着てみたらどう?」
 えぇぇぇっ!
 目を丸くして(おのの)く美鶴へ、女性がやんわりと声をかける。
「大丈夫ですよ。ちゃんと着付けてさしあげますよ」
 そう言って、美鶴の返事も聞かずに部屋を出て行ってしまったのだった。





 そんな成り行きで身に纏った和布の上から、じんわりとぬくもりが背に伝わる。
「大丈夫ですか?」
 その問いに答えることもできず、ただ目の前を凝視するだけ。
 かろうじて親指にひっかかった下駄。引き寄せる余裕もない。
 昼間ほどでないとは言え、じっとりと(なま)(ぬる)い夏の風。背に流れる髪の毛を弄ぶかのような、その日本特有の湿った空気。
 その中で、どうしてそこだけ涼しげな世界。
 少し上がった目尻の、切れた眼差しの艶やかな光。白く細い(おもて)の中に、どうして弱さを感じないのか。
 美鶴の背を支える掌。細くとも大きく、そして力強い。

 桂川のせせらぎ。(かそけ)しげな風。

「美鶴さん?」
 眼差しの奥の光が動き、美鶴はようやくハッとする。
 ふわりと空気を含んだ髪が、まるで金糸のごとく滑らかに揺れた。
「すっ すみませんっ!」
 慌てて体勢を整えようと、ゆるく慎二の胸を押す。
 ――――っ!
 押した以上に、引き寄せられた。

 ―――――― なっ

 瞠目し、見上げた途端、力が抜けた。
 抜けたのか、それとも相手の力がより強まったのか。どちらかかなんてわからない。
 ただ一瞬にして目の前が真っ暗になり、真っ暗な中で、甘い瞳に射抜かれた。
 一層距離の縮まった慎二の、その唇が美鶴の上に寄せられる。


 さぁ どうする?







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